ディーン・フジオカのカッコよすぎる人生のなかのカッコいい語録 《金スマ》
1月29日に放送された「中居正広の金曜日のスマたちへ」で、マキタスポーツさんがディーン・フジオカさんの“カッコよすぎる人生”について解説していました。
このディーンさんの“カッコよすぎる人生”のなかのカッコいい語録をご紹介していきます。
1997年、ディーンさんが17歳のときです。
ディーンさんの妹が勝手に応募した芸能界の登竜門である某有名コンテストに出場し、最終選考の6名に選出されます。
そのとき、デビューを持ちかけられたスカウトに対して、発した言葉がコレです。
「特に芸能界とか興味ないんで!」
「日本で会社勤めをして…というよりアメリカで新しいIT関連の仕事をすれば、ビルゲイツやジョブスのようにトップになれるんじゃないかな。」
つまり、ディーンさんは将来について、もっと別のところに目標があったわけですね。
1999年、高校卒業後、単身アメリカに旅立ったディーンさんはアメリカシアトルに留学。
夜はバンド活動で青春を謳歌し、ゆくゆくはアメリカに定住し会社設立を考えるも、2001年9月11日に発生し
た同時多発テロにより外国人へのビザが発行されづらくなり、2003年、パックパッカーとして目標もなく、アジアへと旅立ちます。
その後、アジアを放浪して、北京、ベトナム、カンボジア、タイ、香港へと…。
そして、2004年、香港の中心街ワンチャイで夜のクラブイベントに飛び入りで参加。
本場アメリカで練習していたラップを披露すると、その模様がファッション雑誌の編集者の目に止まり、モデルのスカウトをうけることに…。
ディーンさん、香港の芸能界にデビューです。
このデビューを機に、ファッションショー、ミュージックビデオ、CM活動などと仕事の幅が広がっていきます。
さらに、ソニーのCMに抜擢され、ワンチャイのタイムズスクエア―の大モニターに流され、スター街道をまっしぐらと進んでいくことになります。
クラブでスカウトされ、モニターに映し出されるまでのたった4か月間で成し遂げられたシンデレラストーリーです。
ディーンさんが当時を振り返って語った言葉です。
「貧乏パックパッカーだったので、正直、お金が目的だった。」
「とにかく、サヴァイブしてゆくために色々やっていたら、たまたま、上手くいったのがモデルだった。」
シンデレラストーリーを成し遂げ、キャリアを積み重ねていったディーンさん。
あるとき自分の中でふっと湧き上がるものがあったそうです。
「演技に対するパッション(情熱)を発見!」
そして、2005年、25歳のときに香港映画でいきなり主演として俳優デビューします。
演技に対する情熱が見事開花したわけですね。
俳優デビューしたディーンさん、その後、台湾の大物プロデューサーの目に止まり、活動の拠点を台湾に移すことになります。
それに伴い、テレビドラマ界にも進出していきます。
ドラマは台湾だけでなく中国全土でも放送され、ディーンさんは一躍人気者となっていきます。
そして、人気者になっていくと同時に、ディーンさんのなかには、こんな思いが…。
「俺、こういう人生を生きたかったのかな?」
自分の選んだ人生なのか疑問に思ったディーンさんは、事務所にこんなことを…。
「一度、全部の仕事を休ませてください。」
2008年、その言葉どおり一旦仕事をストップして恋人がいるジャカルタに飛び立ちます。
ジャカルタに渡ったディーンさんは、音楽制作の取り組みオリジナルアルバムの制作にとりかかります。
しかし、ジャカルタで音楽制作に携わるも、俳優復帰を願ったファンレターがディーンさんのもとに続々と届きます。
それを見たディーンさんは、
「求めてくれる人がいるのにそれを放棄するのはダメだ。」
この信念のもと俳優業を再開します。
2010年、さっそく日本統治時代での台湾を描く映画に出演します。
日本人スタッフやキャストもおり、日本で仕事してみないかと誘われるもディーンは断ります。
仕事が十分といえない状況であったにもかかわらず、なぜ断ったのでしょう。
ディーンさんはこんな風に思っていたそうです。
「中国圏からハリウッドは見据えていたが、何故か日本は目に入ってこなかった。」
そんな中、台湾に住みながらでもかまわないといってくれた今の事務所に入ります。
こうして日本の活動が開始されます。
映画”I am ICHIHASHI 逮捕されるまで”の主演もきまり、並行して台湾の映画やドラマにも出演。
仕事も段々とステップアップしていきます。
プライベートでは、2013年、33歳のときに結婚し、その2年後には、一男一女の双子のパパになります。
台湾で出会った現在の妻にしたプロポーズは唐突でした。
台湾と日本を行ったり来たりの生活の中ことです。
ある朝、スーツケースをまとめて、いざ日本に旅立とうと玄関先で2~3歩踏み出したとき、
「結婚しよう!」
ディーンさんは当時を振り返って、このように言っています。
「ふいに口をついて出た言葉だつた。彼女といれば、世界中どこにいても自分のハートが帰れるホームになると思い結婚しました。」
カッコいい言葉で締めくくってくれました、さすがにディーンさんです。
カッコよすぎて、信じられないような人生を送ってこられたんですね。
このあとも連続ドラマの準主役で全米デビュー、日本の連続ドラマ初登場など、ディーンさんの快進撃は続いていくのでした。
ディーン・フジオカさんの“カッコよすぎる人生”のなかのカッコいい語録はいかがだったでしょうか。