「ど根性ガエル」の作者・吉沢やすみは家庭を崩壊させていた!《ミになる図書館》
3月29日放送の「中居正広のミになる図書館」から、「ど根性ガエル」で大ヒットを生んだ漫画家の吉沢やすみ先生の“知らなきゃ良かった”です。
ぶっちゃっけてくれたのは吉沢先生の娘さんで漫画家の大月悠祐子さんです。
実は、吉沢先生は家庭を崩壊させていたそうです。
1968年に18歳で上京した吉沢先生はアシスタントとして漫画界に入り、1年半目に描いたのが「ど根性ガエル」の読み切りだったそうです。
それが異例の人気となり、弱冠20歳にして異例の連載デビューとなります。
連載開始から2年後にはアニメ化が決定し、再放送では最高視聴率34.5%をたたき出します。
そのうえ、グッズやレコードの売り上げもバカにならず、最初の年の年収は5000~6000万円、それが4~5年続いたそうです。
このとき稼いだお金で一戸建てを購入、結婚もし、子宝にも恵まれ順風満帆の人生を歩みます。
しかし、家庭崩壊に危機は迫っていました。
吉沢先生が26歳の頃です。
まず、「ど根性ガエル」の連載が終了します。
その後、「ど根性ガエル」を超えるような人気のある漫画が描けなくなってしまいます。
自分が生み出した“ピョン吉”に苦しめられるわけですね。
そして最終的に漫画が描けなくなり、追い詰められた吉沢先生は、仕事も捨て家族も捨て疾走してしまいます。
麻雀にあけくれ、原稿も締切に間に合わせず、ギャンブルで稼いだ金で3か月間疾走生活を送ったそうです。
その後、献身的な奥様のおかげで自宅に戻るも、ギャンブル漬けの生活は直らず、婚約指輪まで売り飛ばす状況に…。
あれだけ幸せだった日々がついに家庭崩壊に。
しかし、どん底に落ちた後は、もう上に這い上がるのみです。
長男と長女が大学へ行かせるために稼がなくてはいけないということで、ガードマンの仕事をはじめ、徐々にに家族を養っていけるようになります。
そんな上り調子の頃、ドラマの「ひとつ屋根の下」からピョン吉Tシャツのオファー、ソルマック胃腸液のCMオファーが舞い込み、ふたたびピョン吉に助けられることになります。
ピョン吉に苦しめられてどん底に突き落とされましたが、最後はピョン吉が救ってくれたわけですね。
現在、吉沢先生はお孫さんの面倒をみるのが生きがいで、人生を楽しんでいるということです。
こんなジェットコースターのような人生…、あんまり味わいたくはないですね。