【真田丸】真田信繁の心にしみる名言集
真田信繁は心にしみる言葉をたくさん残しています。
いわゆる名言というものですね。
特に、豊臣秀吉に忠義をつらぬいていた時期に名言が集中しています。
信繁にスポットライトが向けられ注目されていた時期です。
以下、真田信繁の心にしみる名言集です。
「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか。」
関ヶ原の戦いを前にして、東西両軍から誘いを受けたときの言葉です。
人質時代から秀吉に厚遇を受けた信繁は西軍につくしか選択肢はなく、信繁の義理堅さがうかがえます。
「人の死すべき時至らば、潔く身を失いてこそ、勇士の本意なるべし。」
関ヶ原の戦いを前にして、真田一族の行く末を父と兄の3人で語り合った“犬伏の密議”のときの言葉です。
信幸が「もし西軍が敗北しても、ふたりが処刑されないように尽力しよう」と述べたときに、信繁はこのように返答しています。
大意は「命を捨てても目的を達成しなければならないときがやってきたら、潔く玉砕することがまことの勇士というものだ」です。
「十万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか。」
大坂夏の陣を前にして、徳川方から寝返るように誘われたときの言葉です。
信
繁の武勇を恐れた徳川家康は10万石の条件で味方につくよう信繁を誘いますが、一蹴されます。
そこで、家康はさらに条件をつりあげて説得します。
そのときに使者として訪れた叔父の真田信尹に放った一言です。
大意は「10万石では寝返らないが、信濃一国なら寝返るとでもお思いになったのですか」です。
「いざとなれば損得を度外視できるその性根、世の中に、それを持つ人間ほど怖い相手はない。」
大坂冬の陣のあと、徳川方から寝返りを打診されたときの言葉です。
裏切りや打算による行動があたりまえだった戦国時代に、義を重んじた信繁らしい発言です。
「関東勢百万も候へ、男は一人もなく候。」
大阪夏の陣における道明寺の戦いで、伊達政宗が率いる大勢の騎馬鉄砲隊に大打撃をあたえて打ち負かし、全軍の撤退を成功させたときの言葉です。
大意は「徳川方の軍勢は100万人いても、まことの男らしい武者はひとりもいないものだな」です。
撤退した味方の士気を鼓舞するとともに、信繁の勇ましさが垣間見える発言です。
「定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候。我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候。」
大坂夏の陣の直前に、義兄の小山田茂誠に送った手紙のなかの一節です。
大意は「このような不安定な世情ですから、明日のこともどうなるかはわかりません。もはや私たちはこの世にいないものと考えてください。」です。
決死の覚悟で戦いに挑む信繁の心情が表れています。
「部下ほど難しい存在はない。」
どんなに優れた主人や家臣であっても、人間関係というものは非常にむずかしく、いつも緊張して部下に接しなければならないと信繁は論じています。
信繁は知将だっただけに部下を見る目が鋭く、つねに細心の配慮をしていました。
「夢をつかんだ奴より、夢を追っている奴の方が、時に力を発揮する。」
信繁が語ったとされる金言です。
夢をつかんだ人間に対しての賞賛はおくりつつ、そこからさらに大きな夢をいだいて日々努力しなさいと戒めています。
「今はこれで戦は終わり也。あとは快く戦うべし。狙うは徳川家康の首ただひとつのみ。」
大坂夏の陣で、信繁が家康の本陣へ突撃するときに発した言葉だといわれています。
この突撃はすさまじいもので、家康は2度も自害を覚悟したとされ、信繁が率いた真田隊が“日本一の兵”と称賛される所以となりました。
真田信繁の解き放った数々の名言は現代であっても、十分通用する名言ばかりで納得させられますね。