【真田丸】真田信繁は人質に差し出されても大人気で取り合いに…!
小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉から実質的な勝利を収めた徳川家康ですが、目の上のコブは真田昌幸でありました。
北条氏が敵にまわれば、秀吉との挟み撃ちで窮地に…。
それを回避するためには、沼田領を昌幸から取り返して北条氏に渡さなければなりません。
また、窮地に立たされているのは昌幸も同じです。
いくら強固な上田城といっても、四方八方がすべて敵では勝ち目はありません。
家康と手を切るために、昌幸は上杉景勝との友好関係を再び築き直そうとします。
しかし、手を組みたければ次男の真田信繁を人質として差し出すことを景勝に要求されてしまいます。
昌幸はこの要求をのみ、信繁を景勝のもとへ人質に差し出し、来るべき德川戦への支援を求めました。
このとき信繁は19歳だったといわれています。
信繁は、はじめは信濃の海津城(長野市松代)に、のちに景勝の居城である春日山城(新潟県上越市)にはいります。
信繁と面会した景勝はひとめでその器量を見抜き、人質というよりは上杉家のお偉方という破格の待遇をすることになります。
ところが景勝が上洛して秀吉と会見しているときに、昌幸は景勝が留守なのをいいことに信繁を呼び戻し、今度は秀吉のもとへ人質として差し出してしまいます。
わずかな期間ながら、信繁を非常に気に入っていた景勝は秀吉に、
「返してほしい!」
と詰め寄りましたが、秀吉も信繁の魅力に気づいており、取り合わなかったといわれています。
信繁の人間的魅力があらゆる人を引きつけ、離さないということなんですね。