【真田丸】真田信繁の妻は何人いたの?
真田信繁には何人の妻がいたのでしょうか?
大河ドラマ「真田丸」で拝見するかぎり、とても真面目そうで何人もの妻がいたような感じはしませんよね。
真面目そうな堺雅人さんが演じておられるので、なおさら、そのように感じます。
しかし、現代のお話ではないのですよ。
時は戦国時代のお話なのです。
何人もの妻がいてあたりまえの世の中なのです。
戦国武将たるもの、何人もの側室がいるのはあたりまえです。
実は、真田信繁が妻にした女性は四人いるといわれています。
最初の妻となったのが、堀田作兵衛の妹の梅です。
長女のすえを生んでいます。
そして、側室のひとりである高梨内記の娘のきりは、次女の於市、三女の阿梅を生んでいます。
次に、豊臣秀次の娘である隆清院は、三男の幸信、五女のなほを生んでいます。
最後に、正室である大谷吉継の娘である竹林院は、四女のあくり、長男の大助、六女の阿昌蒲、七女のおかね、次男の大八と五人の子を生んでいます。
このように信繁には、正室と三人の側室がいたわけですね。
子どもの数はなんと十人にものぼりましたね。
そのなかに正室の竹林院の子が五人もいたということは、信繁が一番愛していたのは竹林院だったということでしょうね。
正室ひとりに側室三人の信繁は、ほかの武将から比べるとやっぱり真面目だったのでしょうか…。